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始皇帝と大兵馬俑
特別展 始皇帝と大兵馬俑
「東京国立博物館」 東京都台東区上野公園 13-9


THE GREAT TERRACOTTA ARMY of CHINA'S FIRST EMPEROR
特別展
 始皇帝と大兵馬俑
地底の都の栄華、上野へ。

'2015年7月10日(金) 東京国立博物館 東京都台東区上野公園 13-9 【平成館大講堂】 で記者発表会が行われました。
【主催者】
東京国立博物館 副館長 松本 伸之
NHK 事業センター長 小野 昭一
NHKプロモーション 展博事業本部長 畠山 経彦
朝日新聞社 企画事業本部長 市村 友一
〈司会進行〉 東京国立博物館 広報室長 伊藤 信二
〈展覧会について〉 東京国立博物館 学芸研究部 主任研究員 川村 佳男

約2200年前、中国大陸を初めて統一した、秦国の皇帝 「始皇帝」!
最新の発掘成果を採り入れながら、始皇帝と秦王朝にまつわる貴重な文物を一堂に集めて紹介します。
 紀元前221年、秦国の王・嬴政は中国大陸を初めて統一し、最初の皇帝 「始皇帝」 を名乗りました。 始皇帝はみずからの巨大な陵墓を造らせ、そのほど近くに約 8千体もの陶製の軍団 「兵馬俑」 を埋めさせました。 1974年に発見され、今なおつづく兵馬俑の発掘は、始皇帝の知られざる歴史を次々と明らかにし、新しい驚きをもたらしています。
 本展は、最新の発掘成果を採り入れながら、始皇帝と秦王朝にまつわる貴重な文物を一堂に集めて紹介するものです。 20世紀の考古学で最大の発見と謳われる兵馬俑のなかでも選りすぐりのものを揃えて、絶対権力者にふさわしい圧巻の造形美を示すとともに、始皇帝が地下を含む陵墓一帯に空前の規模で築き上げた 「永遠なる世界」 の実像に迫ります。
「展覧会の見どころ」
1.圧巻の 「軍団・兵馬俑」―「将軍俑」「騎兵俑」など秦軍の陣容に迫る作品に加え、馬飼いの 「馬丁俑」 や芸人の 「雑技俑」 まで、バラエティー豊かな兵馬俑が勢揃い。 しかも、会場では数千もの兵馬俑が整然と並んで出土した発掘現場 「兵馬俑坑」 を迫真の手法で再現します。
2.発掘品で読み解く 「始皇帝の夢」―兵馬俑坑は、始皇帝の陵墓を中心とする 「陵園」 の東側に位置します。 調査と研究の進展により、陵園は始皇帝の魂を 「永遠」 に守るための広大な施設であることが明らかになりました。
3.秦王朝の 「サクセス・ストーリー」―辺境の一小国に過ぎなかった秦が巨大帝国になるまでの 「サクセス・ストーリー」 を代表的な作品で分かりやすく紹介します。 始皇帝による中国統一の前に、500年以上にわたる秦の波乱に満ちた歴史ドラマがありました。


'2015 7/10 東京国立博物館 平成館大講堂での 「始皇帝と大兵馬俑」 展の説明会の概要とスライド写真の撮影画像です。

「始皇帝と大兵馬俑」記者発表会
特別展「始皇帝と大兵馬俑 記者発表会 '2015 7/10
東京国立博物館 副館長 松本伸之 ―記者発表会のご挨拶―
  …本年4月より本館副館長を務めさせいただいております。…今回は、特別展 「始皇帝と大兵馬俑」 ということで、皆さんも一度は、お名前を聞いたことがある、有名な遺跡の展覧会、また、有名な歴史上の人物に焦点を当てた展覧会となります。 世界史上の大変有名な人物、始皇帝、これについてはいろんな解説書で触れられますし、また始皇帝の葬られた、お墓の近くから、1974年、今から40年前、世紀の大発見といわれた 「兵馬俑」 「兵馬俑坑」 、兵士や騎馬、馬車、それに関連するような、等身大以上の非常に迫力のある人形、 「俑」 というものが農民の偶然の発見によって、掘ってみるとザクザク、あれよという間に 8千体以上もの人形、しかも、等身大を超えて 190 cm を超える堂々たるタイプの兵士や人形が沢山出てきた。 これも今すぐに、日本の方々も西安の近郊 約30 Km の臨潼区とういう所にありますので観光コースにもなってますので、皆様のなかでも、直接現地を訪問して大迫力に圧倒された方も多いのではないかと。 今回、この東京国立博物館をかわきりとして 「始皇帝と大兵馬俑」 に焦点を当てた展覧会を開催いたしますのは、40年もたって見飽きたのではないか、と、いう向きもあるかもしれませんが、実は、40年という発掘からの時間の経過にともなって、次々と新しい発見が続く。 例えば、国際史の残った、当初の姿を残した俑が出てくる。 あるいは、研究の進化とともに始皇帝の陵墓をとりまく、地下宮殿のありさまが、どうであったか。 徐々にベールに包まれていたものが、明らかになりつつある。 40年の歳月は、本来の姿に、新しい姿に光をあてる歳月であった。 その歳月を経て、東京国立博物館で、始皇帝とか、兵馬俑とか、これに焦点を当てる展覧会は、今回が初めてとなります。 ある意味で、意外な点でもあります。 東京国立博物館では、1972年、日中国交回復以来、国交回復直後から、中国関係の文物展、展覧会は、実に数多く、世界中で見ても、これだけ数多くの中国展やってる博物館は、そうそうないと思います。 それにもかかわらず、兵馬俑の展覧会、始皇帝の展覧会は、これまで開催しませんでした。 もちろん、兵馬俑が見つかってから、1974年ですからわずか 2年後、1976年、実は発掘ほやほやの 「兵馬俑」 3体を、世界に先駆けて、日本初めて、この東京国立博物館で公開したという、実績があります。 それ以外、単発的に別の展覧会のなかで、兵馬俑や始皇帝に関わる遺物をご紹介させいただいた。 まさに、発掘後 40年へて、満を持して 「大兵馬俑」 「始皇帝」 に焦点を当た、東京国立博物館が総力を挙げて、取り組むというのが、今回の特別展覧会であります。…40年の集大成の展覧会…文化交流を通じて、東アジア、ひいては世界の文化交流につなげたい、という思いです。…
「展覧会構成」
1. 秦王朝の軌跡 ―周辺の小国から巨大帝国へ―
2. 始皇帝の実像 ―発掘された帝都と陵園―
3. 始皇帝が夢見た 「永遠の世界」 ―兵馬俑と銅車馬―
【巡回情報】 九州国立博物館 '2016 3/15~6/12 / 国立国際美術館(大阪) '2016 7/5~10/2

始皇帝が地下を含む陵墓一帯に空前の規模で築き上げた 「永遠なる世界」 の実像に迫ります

1. 秦王朝の軌跡
© 陝西省文物局・陝西省文物博物局・秦始皇帝陵博院
1. 秦王朝の軌跡―周辺の小国から巨大帝国へ
  現在の中国甘粛省南部にあった小国・秦は、春秋時代になると、陝西省の関中盆地に東遷します。 そこはかつて天下に君臨した西周王朝(紀元前11~前8世紀) が都を置いた特別な場所でした。 西周から受け継いだ肥沃な大地は、秦を経済的な意味だけでなく、政治的な意味においても強国とする基盤となりました。 国外の有能な人材を積極的に登用し 「富国強兵」 を推し進めた秦は、やがて魏や楚といった強国と競合するほどの勢力に成長しました。 また、秦の西方と北方に暮らしていた 「西戎」 「匈奴」 と呼ばれた民族とも積極的に交流し、金・銀などの富や強力な馬を得ていたものと考えられます。

北方草原とつながる豪華な短剣 《玉剣・金剣鞘》 剣:玉剣 長さ 29.0、幅 3.8
鞘:金製 長さ 18.7、幅 4.0、厚さ 1.5 春秋時代・前8~前7世紀 梁帯村文管所蔵
© 陝西省文物局・陝西省文物博物局・秦始皇帝陵博院
 玉を磨いて作った短剣と、その金製の鞘です。 短剣は刃部と柄の境界に獣面文が彫られ、鞘は龍のような文様が透彫りで飾られています。 これらは芮という秦に隣接した国のものですが、青銅製で同形の短剣と金器は、秦とともに、北方草原の墓でも出土します。 秦とその周辺、および北方草原とのつながりを物語る貴重な作品です。

2. 始皇帝の実像
© 陝西省文物局・陝西省文物博物局・秦始皇帝陵博院
2. 始皇帝の実像―発掘された帝都と陵園
  競合する国々を滅ぼし中国で初めて 「皇帝」 になった始皇帝は、それまで国によって異なっていた度量衡、貨幣などを統一し、新たな支配体制を確立しました。 また、帝都・咸陽の賑わいのほか、咸陽宮殿と始皇帝陵園の壮大なスケールにも、発掘された巨大な建材や壁画から迫ります。 始皇帝の生前のすまいが咸陽宮殿であれば、陵園は死後の住まいといえる施設です。 兵馬俑だけでは読み取れない、宮殿や陵園の出土品が物語る始皇帝の新しい実像が見えてきます。

永遠の始皇帝 《始皇帝陵》(中国・陝西省)
 兵馬俑を埋めた 1~3 号坑は合計 2万平方メートル以上あります。 しかし、これらは始皇帝の陵園にともなう 184基もの竪坑道構の一部に過ぎません。 陵園は、始皇帝の陵墓を二重の壁で囲んだ 2.13平方キロの範囲にあたり、兵馬俑坑はその外側の東に位置します。 もともと、地上には始皇帝の霊魂が “生活” する 「寝殿」、および、その “生活” に必要な衣食を毎日供えた官史の事務所などの建築群が立ち並び、地下には始皇帝を埋葬した 「地宮」 のほか、「銅車馬坑」、青銅製の水鳥を出土した 「K0007陪葬坑」 など、性格の異なる多彩な竪坑群がありました。 陵園とその一帯は地上と地下の全体で、始皇帝の魂を永続させる壮大な施設だったのです。

3. 始皇帝が夢見た
秦始皇帝陵博物館院蔵
© 陝西省文物局・陝西省文物博物局・秦始皇帝陵博院
3. 始皇帝が夢見た 「永遠の世界」―兵馬俑と銅車馬
  兵馬俑は、全体でひとつの軍団を写したものです。 そのため、将軍、歩兵、騎兵など、軍団を構成するさまざまな役割の将兵が表されています。 展示会場では、兵馬俑がそれぞれもつ魅力を最大限引き出すとともに、数千もの兵馬俑が出土した発掘現場 「兵馬俑坑」 を再現することで、「軍団」 としての兵馬俑の圧倒的な迫力をお楽しみいただけます。
 始皇帝はなぜ兵馬俑や銅車馬を陵墓の周辺に埋めさせたのでしょうか。 その背景には、死後も皇帝として永遠に世界の支配を夢見ていた始皇帝の野望が垣間見えます。


《騎兵俑》専用の装備 陶製 高さ 185.0、幅 54.0 秦時代・前3世紀 秦始皇帝陵博物館院蔵
《軍馬》引き締まった馬体 陶製 高さ 172.0、長さ 203.0 秦時代・前3世紀 秦始皇帝陵博物館院蔵
© 陝西省文物局・陝西省文物博物局・秦始皇帝陵博院
 兵馬俑はほぼ等身大の作りで、ひとつずつ顔が違います。 恐らく実在した将兵をひとりずつモデルにして作ったのでしょう。 兵馬俑は粘土を焼いたやきものなので、バラバラに割れた状態で出土します。 それらをつないで現在の姿に復元しているのですが、実は当初の姿と完全に同じではありません。 例えば、兵馬俑はもともと武器を持っていました。 しかし、武器の大部分は、柄や弓が木製のため、長年土に埋まっているうちに朽ちてなくなっています。 表面の彩色も保存が困難です。 もともとは肌、髪、服などの各部に異なる色が塗られていました。


始皇帝の謎
© 陝西省文物局・陝西省文物博物局・秦始皇帝陵博院
 嬴政(えいせい)は前259年に人質として送られていた公子(後の荘襄王)の子として趙国で生まれました。 数奇な運命によって、秦本国に呼び戻され、前247年に若くして秦王に即位しました。 その後、内乱に加担した母親を処罰するなどの苦難を乗り越えて、他国を次々に滅ぼし、前221年に初めて天下統一を果たしました。 しかし、前210年に数え年50歳で亡くなると、その後、わずか4年で秦は滅びてしまいます。
 始皇帝の波乱に満ちた生涯は前漢時代の歴史書 『史記』 に詳しく見ることができます。 その一方で 『史記』 に記載のないことは、例えば皇后の名さえわかっていません。 兵馬俑のことも歴史書に一切記録がなく、1974年の発見まで長らく知られていませんでした。
 始皇帝の実像は、今後も発掘調査の進展によって少しずつ明らかにされていくことでしょう。
 秦の建国は西周時代まで遡ります。 秦は現在の甘粛省南部を拠点とする小国でした。 前770年、周の平王が 「犬戎」 と 「西戎」 によって関中(現在の陝西省中部) を追われ、洛陽に遷都すると、秦は周に替わって関中を奪還し、領地としました。 とくに関中の雍は、前677年から約300年間、秦の都として栄えました。 長らく関中のなかに留まっていた秦が飛躍の足掛かりを得たのは、商鞅(前390~前338)による一連の改革でした。 「富国強兵」 政策が奏功した秦は 「戦国七雄」 のひとつに数え挙げられるほどの強国になりました。 前350年、秦は咸陽に遷都すると、東方の6国を脅かすようになり、前230年の韓を筆頭に次々と他国を滅ぼし、前221年、ついに天下を統一したのです。

参考資料: 「始皇帝と大兵馬俑」PRESS RELEASE、他。
※説明会のスライド写真の撮影などの掲載は、主催者の許可を得て行っております。
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